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「はじまりはイタリアの小さな時計店から “パネライ ルミノールマリーナ・フィレンツェブティック限定” PAM00001」2016年4月5日

2016-04-05 19:38

(※本文中のリンクは、サイトリニューアルのためリンク切れになっていることがございます。予めご了承ください。)

こんにちは、銀座エバンスの稲田です。
暖かくなったと思ったら、雨が降ると寒かったりと寒暖の差がありますね。
みなさん風邪などに気をつけて過ごされてくださいね。

さて、本日はパネライのレアピース、“ルミノールマリーナ・フィレンツェブティック99本限定”
PAM00001のご紹介です。

パネライは1860年、イタリアフィレンツェ初の時計店としてオープンしました。
場所はイタリア中央を流れる川に架かるグラツィエ橋の上、この建物は町で初めての時計工房で、初の時計学校でもありました。

創始者であるジョヴァンニ・パネライは、代々受け継がれてきた時間計測技術の伝統をフィレンツェに復活させた情熱の持ち主だったそうです。

1876年に橋の拡張工事に伴い移転をし、フィレンツェの街の中を転々とする数年間でお店は大きく発展していきました。発展の大きな理由は時計販売だけでなく、修理にも力を入れていたためです。
この修理部門は時計の部品や付属品、精密機器を扱うための倉庫も備えており、スイスから部品が届くとここで組み立てを行い、トスカーナ地方全域の時計店へと出荷されました。

一代目ジョヴァンニの手腕でスイスの一流メーカーとの関係も深まり、事業拡大に繋がりました。

今日のパネライ社の大きな成功は、最初の店舗の時点でスイスの一流高級時計を取り扱っていたこと、そして修理工房を持つ、という偉大な創始者の先見の明と経営の才の賜物なのです。

1880年頃、現在もパネライの旗艦店となっているサン・ジョヴァンニ広場に店を構えました。
創業当時からジョヴァンニを常に支えていた息子、レオン・フランチェスコが1897年、ジョヴァンニ没後二代目となり、その息子グイドもレオンと同じように父を支え、二人三脚の経営が行われました。

そして19世紀から20世紀に移り変わる時代に、パネライ社にとって大きな革命が起こります。
グイドの発案で「Orologeria G.panerai & co.(ジョヴァンニ・パネライ時計店)」から「Orologeria Svizzera(スイス時計店)」に店名を変更したのです。
同時に一階は懐中時計や腕時計の売場、二階には置時計を展示、更に上階に修理工房、他の時計製造業者や卸売業者へ販売する時計の倉庫、修理部品と精密工具の保管室も併設しました。

この売場の合理化の他に特筆すべきは、ジョヴァンニの時代から取扱いブランドはロンジン、ヴァシュロン・コンスタンタン、モバード等と代理店契約を結んでいましたが、グイドの手腕により、ロレックス社との関係性を深めた上、世界最高峰ブランド、パテックフィリップとも代理店契約を結ぶという、イタリアで最も重要な時計店となって世間に広く知れ渡るようになったのです。

グイドの才能はそれだけではありませんでした。
イタリア初となるカタログによる通信販売の開始、カタログは年に2度、一万部が印刷されスイス時計店は、フィレンツェからイタリア全土に販売を拡大することができました。
1907年にはカタログは五万部に増刷され、そこには時計だけでなく、ゴールドやシルバー製の貴金属、ジュエリーまでもが掲載されていることから、彼は取扱う商品にも幅を持たせたのです。

更に一般の顧客だけでなく、イタリア国鉄、イタリア海軍とも時計の納品契約を結び、国鉄には鉄道員達に時計を供給して、代金は給料から天引きというおもしろいシステムを考案、実行しました。

海軍にはタイマー付きの懐中時計を納品、1913年頃には“ラジオミール”という硫化亜鉛と臭化ラジウム、メソトリウムとを合成した高い蛍光性を持つ物質を発明、これによりパネライ社はイタリア海軍への時計や精密機器納入業者として不動の地位を獲得します。

パネライがイタリア海軍へ供給した製品は実に多く、このラジオミールを使用した魚雷発射装置、魚雷や地震信管用の様々な時限装置、水中用の計測器(コンパス・※これは腕時計タイプで後に復刻されて製品化されています)など、ミッションに欠かせないアイテムばかりでした。

こうしてイタリア海軍との関係を密にしたパネライ社では、グイド没後、後継ぎである息子のジュゼッペ・パネライがついに本格的な腕時計の開発に力を注ぎ始めたのです。


パネライ最初の腕時計は1936年製、イタリア海軍特殊潜水工作部隊に供給したモデル“ラジオミール”で、画期的な発明品の特殊蛍光塗料をそのまま、モデル名にしています。

1998年に日本で販売し始めた当時、サイズは40・42・45mmという展開でしたが、このプロトタイプ(※実際にイタリア海軍へ納品したのは1938年のことです)は47mmもの大きなケースで、文字盤はユニークダイヤル、ムーブメントはなんとロレックス社のものなんですよ。
(↑上記写真はプロトタイプの復刻盤)
プロトタイプの製造はわずか10本、現在でもスペシャルエディションモデルは50本限定や100本限定、今回ご紹介するフィレンツェブティック限定も世界限定99本ですし、世界中のコレクター達がパネライに夢中になるのも、この製造本数が極めて少ない部分にあります。

1940年頃、パネライの個性を決定的なものにする重要な改良が行われました。
それは、パネライの腕時計の殆どに採用されているレバーロック式のリューズガードの発明でした。

また、従来の蛍光塗料“ラジオミール”に、人体に悪影響のある大量のガンマ線が放射される事実がみつかり、ラジオミールに代わる新しい発光性化合物を開発しました。それが現在のモデル名にも使われている“ルミノール”です。これは、トリチウム(水素アイソトープ)が原料の化合物で、このトリチウムも今では放射物質が確認されているため、現在製造されているパネライの夜光塗料は“ルミノバ”です。


1950年頃、新しく発表された腕時計のルミノールは、ラジオミールの特徴はそのままに、精度を保ち、耐久性に優れ、高い視認性を発揮する完成度の高い軍用時計として当時大活躍したそうです。

現在も当時と全く変わらない形とデザインで、パネライの顔といえるモデルです。
新生パネライとして1998年、SIHHで発表された際の時計業界及びウォッチコレクター達へ与えたインパクトが凄過ぎたと、今もなお語り継がれています。

パネライのデザインは、機能性を追求した結果うまれる個性的な美しさをコンセプトとし、機能性とイタリアンデザインの融合がうみだした斬新で飽きの来ない、一目でそれとわかる色褪せないデザインです。

パネライ社は1993年に初の民間向けのモデルを発表、1997年にリュシュモングループの傘下に入ります。2001年にはフィレンツェの時計店をリニューアル、入り口の「Orologeria Svizzera」の文字もそのまま大切に引き継がれ、ここではレギュラーモデルの他に、ブティック限定モデルも見ることができるそうです。

そして2002年、スイスのヌーシャテルで初の自社工房を完成させました。
ヌーシャテルはスイス国内で最大級を誇る湖に沿った街で、今までの私のブログで何度かお伝えしたル・ロックルとラ・ショー・ド・フォンの近くに位置します。

2005年には初の自社製ムーブメントを発表、これまで8日巻きやGMTやフライバッククロノグラフなど、そしてトゥールビヨンまでも自社で製作しています。
(2014年、移転に伴い新しい大きな自社工房をオープン、更なる飛躍に大注目です!)

現在では自社製キャリバーが主流ですが、当時はロレックスだけでなく後にゼニスのエルプリメロを積んだモデルが登場したり、ジャガールクルトムーブも採用していました。
このことは代々パネライ家の後継者達が、スイスの様々な高級ブランドとの交流を大切にしてきた証といえるでしょう。


歴史を紐解いてみると、なぜ本店がイタリアフィレンツェなのか、なぜイタリア海軍と繋がりがあるのか、なぜ“パネリスティ”と呼ばれるほどまでに熱狂的なコレクターが存在するのかなどいろいろと知ることができましたね。

今回ご紹介するモデルはパネライ家が代々大切にしてきたフィレンツェの「スイス時計店」の入り口が裏蓋に大きく刻印され、何より文字盤に堂々と書かれている「フィレンツェ」の文字が特徴です。
現在、私が調べた限りここエバンスしか在庫がない、激レアピースです・・・!

まず、このブログでパネライの歴史に少し触れた後、一目で他と違うとわかるこの存在感あるモデルを是非、一度ご覧になってみられてください。

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