「アドルフ・ランゲの意志を継ぐ伝統時計 “ランゲ&ゾーネ1815”」2016年4月26日
2016-04-26 20:09
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こんにちは、銀座エバンスの稲田です。
夜はまだ寒い日がありますね、暖かい日が待ち遠しいです。
みなさまどうぞご自愛なさってくださいね。
さて、本日はあまり入荷してくることのないランゲ&ゾーネから“1815”をご紹介致します。
ランゲ&ゾーネの創始者は1815年誕生のフェルディナント・アドルフ・ランゲ。
彼の生まれた年が、本日ご紹介するモデル名“1815シリーズ”となった所以だったんですね。
1830年頃、幼少期の彼はドイツのドレスデン技術学校で高等教育を受ける傍ら、高名で偉大な時計師
「ヨハン・クリスティアン・フリードリッヒ・グートケス」の下、時計づくりの見習いをしていたそうです。
ここでの有名なお話が、“グートケスの五分時計”のお話です。
数多くの歴史的建築物が立ち並ぶドイツ東部ザクセン州の州都であるドレスデンの中で、圧倒的な存在感と人気を誇り、世界的に有名な歌劇場があります。今現在でも、この劇場で公演されるオペラやバレエなどのチケットは大変入手が困難で、常に完売だそうです。
世界中の人々から何世紀にも渡り、愛され大切にされ続けている世界屈指のオペラ歌劇場、その名はザクセン州立歌劇場(旧称:ドレスデン国立歌劇場)。
この建物の設計者の名前に因み、“ゼンパー・オーパー”の愛称で親しまれている劇場の中に、グートケス作の大きな五分時計というのがあります。
建築家であるゼンパー氏は、国王より直々に客席に大きな観客用の時計を取り付けて欲しいと命を承りました。当時、薄暗い劇場で上演中に時を知るために懐中時計のリピーターを鳴らす観客が多く、素晴らしい劇の途中でそのような音が聞こえるのはと快く思っていなかった国王たっての願いだったそうです。
そこで依頼を請けたグートケスは、遠くの席からでもはっきりと見えるよう、「デジタル式」で時刻を表示する時計を製作しました。時を表示する方は1時間毎に、分表示は5分毎に回転する方式です。
当時、この画期的な技術を駆使した方式の時計は他になく、グートケス氏は弟子たちと共に製作にあたります。この弟子というのがそう、当時15歳の若き日のアドルフ・ランゲだったのです。
ゼンパー・オーパー歌劇場は火災や戦争で三度も焼け落ち、その度に再建されています。
その中で、アドルフ・ランゲも携わった五分時計も一緒に大切に修復され、今もなお観客達のために時を告げ続けているのです。
この五分時計を模した腕時計も、現在ランゲのコレクションに含まれています。
今回ご紹介する時計ではありませんが、グートケスという素晴らしい師がいたからこそ、今のランゲ&ゾーネがあると言っても過言ではありません。この偉大な時計師の存在と成し遂げた仕事は、創始者アドルフ・ランゲを語る上で欠かせないと思い、ここに記しました。
グートケスの下で時計づくりを学んだアドルフ・ランゲは、1837年にフランスに修業に出て、アブラアン・ルイ・ブレゲの弟子、ヨゼフ氏の下に入門します。やがて主任になったランゲは、天文学や物理学を学びながら、パリの一流時計師たちの下で腕を磨きました。
彼が修業に出る直前、恩師であるグートケスより贈られた言葉、「祖国を忘れないで欲しい。君がいつの日か豊かな経験を積んで帰還し、この枝を幾重にも発展させることができる君の力を証明してみせた時、祖国は君を手放しで歓迎するだろう」の通り、1841年にドレスデンに帰郷します。
そして1842年、グートケスの娘アントニアと結婚。グートケスは宮廷時計師に昇進し、王宮の時計塔内に住むことになりました。
1839年、ドレスデンとライプツィヒの間に鉄道が開通し、新しい移動手段で旅の習慣が変わったため人々の時間の感覚に変化が生じてきました。
今までは馬車での移動が一般的で、馬車だと時間はおおまかでよかったのが鉄道となると時刻表に従って動かなければなりません。そこで、正確な時計が必要となったのです。
アードラーと名付けられたイギリス製の機関車がそれまで使われていましたが、この年、初のドイツ製機関車が製造されました。その名は「サクソニア」。ランゲ&ゾーネのコレクション名にも使われているこの名前は、記念すべきドイツ初の機関車の名前だったんですね。(上記写真がサクソニアです)
鉄道の普及に伴い、懐中時計の多くは鉄道に因んだデザインが採用されました。
文字盤の分目盛りは線路を模したモチーフで、枕木を数えるかのように針が進んでいくデザイン。
現在では今回ご紹介する“1815シリーズ”にこの線路(レイルウェイモチーフといいます)を採用しており、ムーブメントは3/4プレートやブルーのねじ、ビス止め式ゴールドシャトンなど、懐中時計の伝統を今でも受け継いでいます。
アドルフ・ランゲの時計づくりの理念は、粘り強さと勇気だそうです。
偉大な師グートケスの下での経験から、自分なりの明確な考えを持ち、何を変えるべきなのか、その理由は何なのかをはっきりと認識していました。
様々な分野で彼は先駆的な役割を果たし、機械式時計に革命をもたらました。
彼が考案した様々な技術改良の中で、特に重要性が高いのが1864年に彼が20年の歳月を費やして開発した独特な形状の3/4プレートです。それまで輪列の軸をそれぞれ独立した多数の受けに取り付けていましたが、それを大きな地板にまとめることでムーブメント全体の安定性を向上させます。
現在でもこの3/4プレートは、ランゲ&ゾーネの腕時計を特徴づける伝統的要素の中で最も重要なひとつとなっています。
また、アドルフ・ランゲは、ヨーロッパで初めて時計の製作にメートル法を導入した人物です。
ミリメートルを基本単位とし、ムーブメントのひとつひとつの寸法をそれまでのリーニュ(ライン)という単位からメートル法に換算しました。
更に彼は、時計の品質を常に最高水準に維持できるように、時計づくりのプロセスを見直し、作業分担の制度を導入します。つまり、それぞれの時計師が専門の分野を持ち、特定の工程を担当することで不良品の発生率を大幅に低下させ、工房の設備の拡充にも力を入れました。
当時まだ人力で動かしていた旋盤を足踏み式にし、歯車や円盤などの円形部品を回転させ加工するのが容易になり、加工の精度が大幅に向上したのです。
1848年以降、18年間に渡りアドルフ・ランゲは無償でグラスヒュッテの町長を務めます。
彼は時計師としての人生に満足するのではなく、町の人々のために新たな可能性を開いて豊かな生活を与え、町の長を自ら進んで引き受けたそうです。そして自らの手で築き上げた時計産業を基盤に、グラスヒュッテを住みやすく管理の行き届いた町として発展させます。
彼はザクセンの国会議員に選出されたのち、名誉市民の称号を贈られ、引退後は時計師たちのための「ランゲ財団」を創設します。その功績はザクセン国王の目に留まり、貴族の称号が与えるとなりましたが、その申し出をきっぱり断ったというエピソードがあります。その時の彼の名言は今でも語り継がれています。
「人の高貴さはその行いにあり」
アドルフ・ランゲはその後、創業30周年を目前に控えた1875年、60歳という若さでこの世を去ります。
ランゲ&ゾーネ。
創始者アドルフの残した素晴らしい、歴史あるメゾンです。
昨年の彼の生誕200周年記念モデルにはやはり、“1815”が選ばれました。
当時のF.Aランゲがつくった懐中時計に採用されている要素をそのまま、たくさん盛り込んだアドルフ・ランゲの意志を継ぐ伝統ある腕時計。
視認性抜群のアラビア数字、一目で時刻を読み取ることができる美しいブルースティール針、ムーブメントには素材の表面をそのまま活かした洋銀を採用しています。
そして先程も述べましたが、ムーブメントの安定性を向上させる3/4プレート、ブルースクリューとビス留め式ゴールドシャトン、熟練の技術者による手彫りを施したテンプ受け。
これらはすべて、懐中時計に使われていた伝統技法なのです。
ランゲ&ゾーネは、今年の3月にドイツの高級ブランド番付で、自動車、家具、時計宝飾及び服飾のプレミアムブランドを抑え、5回連続の第一位を獲得しています。
現在のCEOは、A.ランゲ&ゾーネのブランド名で世界最高の時計をつくるという目標を追求し続けており、今後もその姿勢は変わらない。創造的なアイデア、有能な社員、手工芸および技術の両面における水準の高さによって、時計を買うなら上質の機械式腕時計をと考える人々を増やすことに貢献したいとコメントをしています。
現在、ドイツだけでなく、世界中の時計愛好家たちがランゲの存在を認め、憧れています。
今回のブログでランゲの歴史に少しだけ触れ、改めて時計を見た時に、創始者アドルフ・ランゲがいかに偉大かを感じます。
まだまだ語りつくせないランゲ&ゾーネの魅力、みなさまに是非一度店頭でお手にとってご覧いただきたいです。
みなさまのご来店、心よりお待ち申し上げております。