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「海の護り人 ”ユリス・ナルダン”(2)歴史と作品編」2018年6月26日

2018-06-26 18:35

(※本文中のリンクは、サイトリニューアルのためリンク切れになっていることがございます。予めご了承ください。)

こんにちは、銀座エバンスの稲田です。
お昼間は夏のように暑い日が続きますね。
みなさまお出掛けの際は日差し対策をお忘れになりませんようお気を付けくださいね。

さて、本日は前回ブログ「海の護り人 ”ユリス・ナルダン”(1)成功への軌跡編」 の後編をお送り致します。



1846年、スイスのル・ロックルにユリス・ナルダン氏は時計製造会社を創業したのですが、この”ル・ロックル”、みなさん聞き覚えはございませんか?
実は私が何度かブログの中でお伝えしている街の名前なんです。
何人もの偉大な時計師達がこの街やこの土地の近くより誕生していてパネライ、オーデマピゲ、リシャールミルなど、数々の名門メゾンがこの辺りに会社を構えています。
(これらの記事にご興味のある方はブログトップの右側、最新の記事の下に検索の窓がありますので、「ル・ロックル」で検索かけてみて下さい。7件の私のブログが該当しますよ。)

ユリス・ナルダンはこの地に誕生してから172年もの間、様々な出来事と共に伝説を作って来ました。
その歴史を少しずつ紐解きながらお話を進めて行きますね。


1872年、スイスでは時計産業を更に発展させるためにスイスのヌーシャテル天文台とジュネーブ天文台の二箇所でコンクールを開くことを決定、それは毎年続きました。
なぜ天文台が選ばれたのかというと、科学的に観測をすることのできる研究所が必要だったためです。
そしてこのコンクールで上位にランクインしたブランド、また多数の作品がクロノメーター検定に合格したブランドだけが世界に名を広めることができる、名が広がるということは売れるようになるということなのです。やはり証明書というのはどの時代でも信頼の証ですから、クロノメーター証の欲しい様々な会社がこぞって自慢の時計で競い合い、いろいろな人々が一喜一憂し合う姿が目に浮かびます。

当初は航海用のマリーンクロノメーター(については前回詳しくお話しています。
「海の護り人 ”ユリス・ナルダン”(1)成功への軌跡編」是非ご覧下さい。)だけの検定でしたが、1941年から腕時計も対象となり、このことから更にこのコンクールが注目をされるようになって、1959年には世界中の腕のあるメゾンが我先にと参加をしました。
細かく規定のある厳しい検定に合格したものにはじめて”クロノメーター”という称号が与えられ、その中で更に優秀なものがコンクールの入賞作品となります。

100年以上もの歴史を持つ権威ある天文台コンクールで、検定に合格した時計は1975年の最後の年までに4504点、その内なんと、95%の4324点が今回ご紹介するユリス・ナルダンの作品なのです。
前編でもお伝えした通り、マリーンクロノメーターといえばユリス・ナルダン社製という時代でしたから、腕時計の精度への力の入れ方も他社とは比べものにならなかったことでしょう。
このコンクールでもユリス・ナルダンは伝説を作ったんですね。


先見の明を持つユリス・ナルダン氏は、1860年に天文台で観測を行うための極めて正確な時計、スイス時計製造の父と呼ばれるジャック フレデリック・ウリエ開発の”天文レギュレーター”時計を導入、この時代に高精度を備えたマリーンクロノメーターだけでなく懐中時計、腕時計を次々と開発していきました。
ここでいうレギュレーターとは振り子時計のことで時計の日差調整、修理に用いられ、同氏はミニッツリピーターやその他の複雑時計を発明、彼の偉業によって世界に名を広めたことは言うまでもありません。

そして1876年。53歳という若さにしてこの世を去ったユリス・ナルダン。彼の仕事は息子であるポール ダヴィット・ナルダンが引継ぎます。ポールの手腕により、様々な特許や賞を獲得、現在の同社があるのは息子のおかげと言っても過言ではありません。
詳しくお伝えすると、マリーンクロノメーターで2411の賞を受賞、腕時計では一位を747回獲得、そして国際見本市(現在でいうバーゼルやSIHHですね)では数々のメダルや賞を受賞しています。

しかし1970年代、クォーツショックの影響により、ユリス・ナルダン社も衰退の道を余儀なくされます。クォーツショックとは、我らが日本の誇るセイコー社の大躍進により、スイス時計業界全体が大打撃を受けた大きな出来事のことです。
時計業界に身を置く方々はご存知だとは思いますが、いつも私のブログを呼んでくれている時計愛好家のみなさんに是非知っておいて欲しいことなので、少しお話致しますね。

1964年、東京オリンピックの公式時計としてセイコー社が選ばれ、そして認められたことにより”世界のセイコー”という通り名で知名度が劇的に上がりました。
1973年には部品のないデジタルウォッチを世界で初めて販売、これは秒表示もしてくれる画期的な作品でした。そしてSEIKO5というモデルを主力に優秀なクォーツ時計海外販売代理店が急激に拡大されていき、1978年には製造本数約1900万本のうちの三分の二が海外へ向けての輸出だったそうです。(下の写真左…世界初のクォーツ腕時計/右…世界初のデジタルクォーツ※SEIKOHPより引用)


世界初のデジタルクォーツウォッチは、特にアジア圏の企業へと影響をもたらし、1980年代初頭には他社へのムーブメント販売をスタートさせ、香港や台湾、中国などで時計部品の製造を開始します。
これによって何が起こるかというと、大量生産することができるようになって、価格がものすごく下がります。そして安く手に入るということは日本だけでなく、他の国々でも富裕層に限らず一般の人々が買えるようになるということ、高額な機械式時計が売れなくなる、世の中が変わる・・・

その結果、1970年に1600社以上あったスイスの機械式時計メーカーが1980年代中頃には三分の一に減り、それによって失業者の数も大激増、更に悲劇は続き、同時期に起きたオイルショック、スイスフランの高騰で材料と人件費も莫大に釣り上がり、様々な企業、特に時計製造に関するメーカーが次々と廃業に追い込まれてしまったのです。
これが”クォーツショック”です。

それまで5世代に渡り家族経営だったユリス・ナルダン社も例外ではなく、この脅威の元、1983年にはついに売りに出されてしまいました。
そしてロルフ・W・シュナイダーという素晴らしい実業家によって見事再建され、現在に至ります。


ユリス・ナルダンはアストロラビウム・ガリレオガリレイという複雑機械式時計の発表で息を吹き返し、シュナイダー氏の指揮の下、前回ブログで詳しくお伝えした”マリーンクロノメーター”、当店にも入荷したことのある有名な”フリーク”を主力とし、今回ご紹介する”ソナタ”やその他の複雑時計は数々の賞を受賞しています。

初代ソナタは2003年に発表され、2012年にストリームラインへ進化、2017年にはガラリと印象を変えてクラシカルな第二世代のソナタを発表しました。
初代は開発に7年もの月日を要したそうで、見た目斬新な他ブランドにはない芸術的な作品に仕上がっており、リューズ下、左右に設置されたプラスマイナスのボタンで短針を進めたり戻したりできるという、画期的な仕組みになっています。
スポーティーな見た目からは想像が付かないと思いますが、時が来るとそれはそれは美しい音を奏でてくれるんですよ。時間が過ぎるのが楽しみになりますね。


初代ソナタ は日本ではここエバンスにしか取り扱いしていません。
ご興味のある方は私稲田までご連絡くださいね。

二回に渡ってお伝えして来た”ユリス・ナルダンブログ”、いかがでしたでしょうか。
もちろん、まだまだ全てを語りきれていませんが、またの機会にお伝えできることを楽しみにしています。

卓越した商才をも持ち合わせていた偉大な時計師の名を冠した”ユリス・ナルダン”。
このブランドはいろいろな人達の手で、創始者の遺志を大切に今もなお歩み続けています。
170年の歴史を感じながら、美しいソナタの音を聴いてみる。
そんな贅沢な時間を、この時計と共に過ごすのもまた一興ではないでしょうか。
みなさまのご来店、心よりお待ち申し上げております。

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