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「信念の時計師 FPジュルヌ “トゥールビヨン・スヴラン”」2015年10月6日

2015-10-06 11:00

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こんにちは、銀座エバンスの稲田です。
日毎にすずしくなって参りましたね、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
夜寒い日もありますので、あたたかくしてお出掛けくださいね。

本日はフランス人独立時計師 フランソワポール・ジュルヌの “トゥールビヨン・スヴラン・
デッドセコンド・ブラックレーベル”
をご紹介致します。


独立時計師であるFPジュルヌは、彼の作品ひとつひとつを見て一目でわかるように、伝統的、創造的かつ革新的な作品を発表しています。
1982年、トゥールビヨン懐中時計を5年もの月日をかけて製作、ゴールドのケースや文字盤を含むすべての部品を自身の手で手がけたそれは、彼の最初の作品です。

1985年、最初の工房をパリのヴェルヌイユ通りに設立。
当初はコレクター向けのオーダーメイドの作品のみを製作していて、顧客より他にない時計が欲しいとのオーダーを受け、既に研究を始めていた“クロノメーター・レゾナンス”を作ることにしました。
しかし、スイスにいる世界一の時計コレクターであるシュウィンドさんより依頼が入り、自動巻き永久カレンダーとトゥールビヨンを先に製作、それを知った彼の顧客は、寛容にもレゾナンスは待つからとトゥールビヨンに切り替えたそうです。

そして1989年、ひとつの転機が訪れます。大手メゾンからの製品開発依頼です。
そこでスイスのサントコアにTHK(テクニーク・オルロジェ・アプリケ)という会社を作りました。
この会社はなんと知る人ぞ知る独立時計師、「ヴィアネイ・ハルター」!
と、現在ドゥベトゥーンの時計師である「ドゥニ・フラジョレ」
の三人でスタートした会社だったのです。すごい面子です、おもしろいですよね。

この受注の仕事と並行して、1987年頃からバーゼルフェアのアカデミー(AHCI=独立時計師協会による
展示会)に自作の時計の展示を始めていました。
当時の世間の目は冷たく、評価を得るには至らなかったそうです。
そんな時、パートナーとの意見の食い違いでジュネーブに会社を移ることになり、それが今のFPジュルヌの工房となります。

この時のすごいエピソードがあります。
設立したての頃、パリのカフェで友人に彼は「自分のブランドでコレクションを作ろうと思う」
と話しながら、アイデアをその場で紙にスケッチします。
友人はそのスケッチを持ち帰り、その10年後、ジュルヌの手に戻って来ました。
そのデッサンがなんと、今のコレクションそのものなのです。
タイトルを「信念の時計師」としたのは、そこからです。
彼はずっとずっと頭で描いてきた彼のアイデア、デザインをそのまま実現した、
一度決めた信念を、長い年月をかけ貫いた、信念の時計師なのです。
また、これにはもうひとつの意味があります。
FPジュルヌという人は、大きなメゾンに資本金を出してもらい会社を発展させるということを拒み、
ステイタスや流行を求めているのであれば、他の時計を選んでください、作品を本当に愛し、本当に欲しい人だけが購入すればいい、そのため年間900本しか製造しない、この考えを会社設立当初から現在まで
貫き通しているのです。

このような時計師が他にいるでしょうか。
「まっすぐ自分の言葉は曲げない」 私の好きな言葉のひとつです。
フランソワポール・ジュルヌ。
日本人らしい、まっすぐな所に私は惹かれます。
世界初のブティックを東京に作った理由も、もしかしたらまっすぐな日本人を好んだ彼の選択だったのかもしれません。


そして1991年、後程お話する“ルモントワール機構”を搭載した初めての腕時計を製作しました。
(写真の機構がルモントワールです)
彼独自のルモントワール機構は2番目に手掛けた懐中時計ですでに開発済み、
この作品こそが、トゥールビヨン・スヴランのプロトタイプ、世界で初めてルモントワールが組み込まれた
腕時計です。

2001年、彼の時計作りを語る上で決して忘れられない出来事があります。
なんと、ハリーウィンストンの“オーパス1” を彼は一人で手掛けたのです!
この時試作品だと思うのですが、18種類のすべて異なる時計を、単品製作するという常人では考えられない離れ業を、FPジュルヌという時計師はやってのけたそうです。
ハリーウィンストンも時計を作るブランドとして世界中のコレクターに対してイメージが確立されたのは
まさか彼の作品のおかげでした。
今回このブログを書くにあたり、初めてジュルヌの勉強をしましたが、本当に驚くことばかりです。
先程も申し上げた通り、生産本数が極めて少ないため、エバンスでは入手することが非常に困難で、
私は10年以上勤めていますが、実物を見たのはほんの2~3本なんです。
これほどまでに稀少なレアピース。
心から皆様に見ていただきたいです。

そして、ルモントワール機構とは。
1595年にスイスのヨスト・ビュルギが発明した機構で、フランス語で巻き上げるという意味を持ちます。
脱進機に伝わる主ゼンマイの力を一定に保つことができる機構のことで、通常の輪列に噛み合う歯車を
備えたレバーを取り付けることで、テンプへの供給エネルギーを一定に調整します。
トゥールビヨンは、重力による姿勢差をなくすための機構ですが、日常生活を送る上で様々な姿勢で使用
されるため、その効果は確実ではないと考えられ、このルモントワール機構を組み込むことにより、現在、
最も精度の高いトゥールビヨンとしてトゥールビヨン・スヴランは君臨しています。
1999年、スヴランコレクションとして最初に発表したモデルが、トゥールビヨンでした。
本日ご紹介するモデルは第二世代のもので、FPジュルヌの各コレクションの中で最上位に位置するモデルです。

また、デッドセコンドとは。
1754年にフランスのジャン・ロミリーが発明した機構で、センターセコンドが1秒毎にジャンプします。
この呼び名は一秒が経過する度に、死んでいたかのようにみえる秒針が再び動き出して、次の秒表示位置にジャンプすることに由来するそうです。
言わば機械式なのにクォーツのような動きをする時計のことです。

のモデルは、この歴史的大発明の機構を二つも備えていて、ふたつの動きを楽しんでいただくことが
できます。

フランソワポール・ジュルヌという時計師は、18世紀の偉大な科学者や発明家、熟練時計師達の作品すべてを学び、取り入れ、自己流で製作し、複雑であり繊細な、同時に実用性と信頼性を兼ね備えている時計を製作しているそうです。

文字盤上にある“Invenit et Fecit”とは、ラテン語で「発明し、製作した」という意味を持ち、FPジュルヌ作品すべてに記されている文字です。
これは、18世紀の偉人たちへのオマージュに他ならず、尊敬を込めた作品としてひとつひとつ丁寧に
製作していることがうかがえ、また彼自らが発明し、正確で美しく壊れにくい時計を、自らの手で製作する
という想いが込められているそうです。

また“スヴラン”とは、フランス語で「至上」という意味で、そのモデルのすべてが偉大な時計史との深い関わりを持っているそうで、まさに過去と現代の融合の時計、この上ない最高の時計というジュルヌ氏の想いがつまったモデル名なのですね。


いかがでしたでしょうか。
まだまだ語り尽くせない、フランソワポール・ジュルヌの魅力。
みなさん、感じていただけましたでしょうか。
今回ご紹介するモデルは、ブティック限定で年間2本のみ製造という大変稀少な作品です。
お客様からの大切なご委託の商品ですので、期間限定です。

本当に貴重な体験です、2階に展示してありますので
銀座にお越しの際は是非、一度ご覧になってみてください。
皆様のご来店、心よりお待ち申し上げております。

銀座エバンス

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